百年の孤独

2024年4月23日。昨日の夜からガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読み始めた。初っ端から面白くて、飲み込まれていく。本を読んでその中に没頭できるときはすごく気持ちがいい。電車の中では本を読むけれど、やはり家で一人で読む時ほどは集中できないことが多い。人の出入りや自分の降りるの駅のことを気にしてしまうからだろう。これから本を読むのは電車の中より一人になれる場所にしたほうがいいかもしれない。できる限り。

サンテクジュペリの「人間の土地」が面白かったので、たみに頼んで原語でフランスから送ってもらおうと思ったのだが、彼女がPDF版を見つけて送ってくれたからそれをダウンロードして読むことにした。本で読みったが、こっちの方がすぐに分からない単語を調べながら読めるから便利でいいや。

夢ででっかいレトリバーと戯れていた。この犬はおれのことが大好きで、ずっとついてくる。フリスビーを投げてやった。あんまり反り返ってジャンプするから腰を心配した。クッキーもそうやって腰を痛めた時期があったから。どうせ犬なら、クッキーに出てきてほしいと思うんだが、夢はやっぱりよく分からない。

今日はトムの誕生日だったので、10ヶ月ぶりにメッセージを送った。送るか迷ったが、誕生日おめでとうを言われて嬉しくない奴はあんまりいないはずと思い、久しぶりだったがお祝いした。彼はおれの中では出会えて嬉しかった優しくて大人でかっこいい友達である。歳はおれより三つくらい下だけど、全然そんな感じはしない。留学中の前半は結構な頻度で会っていたし、パリにも一緒に旅行した。新年も一緒に越した。けれど後半それまでのようにはあんまり遊ばなかった。寂しかったけれど、仕方のないことではあった。もう一人のロバートというやつとおれの仲が微妙になって、彼はロバートと常に一緒だったから。取り憑かれていたといっても過言ではない。今思えば、おれがもっと大人になってロバートと話をすることもできたけれど、あの時はめんどくさくて関わるのをやめてしまった。留学中は誰かずっと一緒にいれるような友達が必要だった気がする。最初はロバートとトムで、ハナビちゃんがいて、最後の方はずっとマニュエルだった。今日本ではいつも一緒にいるような友達がいない気がする。大切な友達は何人かいるけれど、みんな忙しかったり遠くにいたり、なかなか昔みたいに毎日会うなんてことはない。その点、高校まではよかったなあと思う。行けば必ずそいつらがいたから。

そういうのは少し寂しいけれど、みんないつまでも一緒にはいられない。お互いの道があるから。それでも、心の奥底では繋がっていて、思い合っている。結局、ありがたみは会えない時に感じるもんなんだ。人間は都合がいいから、いるときはその存在の重みに気づけない。直美が昨日からイタリアに旅行に行って、拓也もバイトでいない家に一人で静かにいる時、久しぶりに孤独を感じた。この感じは留学以来な気もした。そしていつも一人で家にいた直美のことを考えた。彼女も寂しかったんだろうなあ。

まあ、それでもまだみんなこの世のどこかしらに生きていて、話すことはできる。それだけで十分だ。顔が見られなくても会話だけでその人の存在を感じることができるから。昔サンテクジュペリが飛行機で手紙を届けていた時代は、遠くの人との会話に時差があって、手紙の重みは今のラインとは比べ物にならないんだろうと、そんなことをふと思った。

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